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2011年10月16日日曜日
2011年10月15日土曜日
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2011年10月14日金曜日
押井守の映画批評 『耳をすませば』について
25 : 雪ちゃん(兵庫県):11/01/25 22:50 ID:7g5xvq7wP
『耳をすませばについて』 押井守 1995年
あのね、ちょっとだけ言わせてもらってもいいですか。
この映画は、何一つ救いがない映画ですよ。
実際には、現実には、絶対にありえないことを、思いっきり細部までこだわった現実的な日常の世界として描くなんて、反則以外の何物でもない。
(中略)
そして、見た者は大いなる錯覚をする。
「これが、本来の現実の世界ではないのか」、と・・・
そこに描かれているものは何だろう。
高校にも行かずに留学してバイオリン作りを目指す彼氏?
親や先生や同級生に何ひとつ反対されずに壁にも遭遇せずに夢を目指す彼女?
その二人による、あたりまえのように描かれているありえない恋愛の世界?
「いいなあこんな学生生活」
「これが本来あるべき学生生活だったんだ」
「すると俺の学生生活ってなんだったんだろう」
そして、見たものの中に、本来では「ありえなかった現実の世界」が正当化され、
従来の「あたりまえだった現実の世界」が否定される。
本来持っていなかったものをまるで持っていたように錯覚させ、それを否定される。
こんな残酷な作品は無い。
「現実を錯覚させる」ことがそもそもの悪であり、「現実を否定させる」ことはもっと悪である。
これを作った人は、世の中の人たちにとって、悪である。
27 : 雪ちゃん(兵庫県):11/01/25 22:52 ID:7g5xvq7wP
『大学での講演(耳をすませばを引き合いに出しての話)』 押井守 1999年
「こういう例を出して適切かどうか分からないけど、『耳をすませば』に出てくるような健康的な一家を見て、
果たしてアニメーションを必要としている今の若い子たちが勇気づけられることがあるんだろうか。
僕は、ないと思う。『耳をすませば』を見て生きる希望がわいてきたり勇気づけられる子は、もともとアニメーションなんか必要としないんだと。
アニメでも映画でも小説でも何でもいいけど、フィクションを人並み以上に求めている子たちには、ああいう形で理想や情熱を語られても、むしろプレッシャーにしか感じられないはずだ。僕はそういうものは作らない。
今回もそうだけど、僕が作っているものにあるのは、生きるということはどう考えたってつらいんだ。
多分、あなた方を取り巻く現実もこれからの人生も、きっとつらいものに違いない。
いろんなものを失っていく過程なんだということ。
生きていれば何かを獲得すると若い人は漠然と思っているんだろうけど、
実際は失っていく過程なんだよって。 」
『耳をすませば』(1995)はジブリの若手が作ったある映画に対する宮崎駿の答え。その若手が作ったある映画とは『海がきこえる』(1993)である。正しい映画を考える上で押井守の話は貴重である。エヴァにしても押井の批評が面白い。
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2011年10月12日水曜日
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